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私がスキーインストラクターだったころ

インストラクター事始

で、1981年12月の大学二年の冬に、インストラクターデビューを飾ります。
12月の始めのスクールの研修会合宿中に祖父がなくなるなど、波乱含みの幕開けでした。

研修中は、以前お客としてならっていた先輩コーチに、随分つらく当たられたのが強く印象に残っています。
あとで思い起こすと、当時は高校のスキー修学旅行がはじまったころで、
通常のレッスンを受けていたお客をコーチに駆り出したりして、いろいろ問題も出ていた時期なので...

まぁ、それはそれ、持ち前の脳天気さで乗り切りました。
だだ、そのとき、志賀ではなく苗場へ配置されたのがつまづきの初めだったのでしょう。

なえばの先輩コーチがあまりにもスキーが下手なのです。
幹部クラスの人がコーチらしいすべりができるだけで、あとは酷いものでした。
で、私を含め数名の一級程度の腕前の人間は先輩にいびられるのでした...

しかし、スキースクールで後輩に向かって、スキーがちっと上手いだけで自惚れるんじゃないぞなんて...
そんなのわかっていますよ。いざ教えるとなったら本当に大変だったのは、
当の私たちが一番良くわかっています。

でも、そういう言い方しかできなかった一部の先輩たちの存在があまりもショックでした。

シーズン終わりに、志賀にいけるようになったときに、少し気持ちも上向いたのですが...

ても、それが尾をひいて、次のシーズンは、ぎりぎりまで、スキースクールと連絡をしなかったので、
苗場のお正月はお休みしてしまい、志賀高原の修学旅行だけ手伝いに行きました。

まあ、これでインストラクターも終わりにしようと思って、いたのですが...

 

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